2012年3月31日土曜日

Cotic BFeのサスペンションフォーク考

マウンテンバイク、いざ組もうかなとパーツ選びしていて、ここ10年ですっかり変わった事に気がついた。

シングルクラウンサスなのにトラベル量が100mmを超えるのが普通じゃないの!
その昔、ダウンヒル用のフォークといえば、日本じゃRS TAICHI/SHOWAの80mm(流石に相当昔過ぎか、僕の世代はKOWAとかTECH INのサスなんてあったね)。
が、今や一番下が80mm、クロカンで100mm!ありえんなー。

ということで、久々のパーツ選びに悩んでます。

なんせ、BMXの時はヘッドアングル74.5°
マウンテン、68~72°、ヘッド寝すぎだろ!ということで参考にならず。

そう、マウンテンはサスのトラベル量で、ヘッドアングルが変わるんだよね。
正直、こんなに寝ているがかえって不安なんだけど、フルボトムすれば当然ヘッドアングルが変わるわけで、それを考えると、たしかに寝ていたほうがいいのかも。

というところで、サス選びになやんでいるんだけど、我らがCoticには便利なツールがある。

2012年3月25日日曜日

Cotic BFeが届きました!!

ということで、UKのブランド、Coticのハードコアなんでもバイク、BFeが無事、Coticから日本に届きました。実は先週の日曜日にはすでに届いていたんだけど、千葉のショップに送ってもらっていたので、本日それを取りに参りました。

参考までにですが、振込みから5日で届きました、はぇぇ。

フレーム全景は明日以降で 、とりあえずっと


2012年3月18日日曜日

29er VS 650B

別にvsってわけでもないのだが、今年のマウンテンバイクのWCの第1戦、南アフリカで開催されたのですが、男子の優勝、Nino Schurterは27.5inchのScootのプロトタイプだったそう。


Nino And Maja Take Season Opener Cross-Country World Cup And
A New Wheels Size Gets Its First WC Win(via Mountainbike Action)
http://mbaction.com/Mobile/News/Nino_And_Maja_Take_Season_Opener_CrossCountry_Worl_5148.aspx

女子は上位2名が29er、3位が26と言う感じ。ホイールサイズでどうこうはないのかもしれないが、今年はこれに注目だね。

そして、今年のWCはRedbullが中継!いやー今日みたけどいかったね。
http://live.redbull.tv/events/32/ucistop1-xc1/

僕は今年のバイク、Cotic BFeは26だけど、実質リハビリも兼ねての26er。 ここ10年程、20インチを超えるサイズにほとんど乗ってなかったからね(なんせもう一台はミニヴェロだし(笑))。来年以降に買うならサイズをあげて29erか650Bにしていこうと思ってます。

レース、うんー、Jシリーズも復活したいが仕事忙しすぎていま厳しい!!

2012年3月17日土曜日

花水ラオシャン




晩飯は家族で花水ラオシャン

やっぱうめーよ。タンメン、350円なり。

ここのところ、週1で食いにいってるが、まったく飽きないね。
平塚方面に来られた方は、是非!

マウンテンバイクよもやま話その3

ということで、本日2回目、僕のCotic BFeは現在ドイツにおられます。
Cotic、来たら詳細レポしますが。。。パーツないんだよね(笑)
サスはサンツアーで良いし、パーツはサイクリーで買ってくるかな!!

ということで、マニアック層に妙に好評なよもやま話、その3です。
その2を読むとやっぱり時間軸が変、Green Doorがあったのは僕が高校〜大学2年くらい。
ごめんなさい、思い出しながらなので。 本当はKOFU(KooWho)の隔月ツーリングのお話なんかも書くべきだけど、実は記憶が曖昧で…申し訳ないです。

で、これから書くのは僕が高校2年〜浪人していた頃のお話。

まだマウンテンバイクにフリーライドなんて言葉はない頃のお話からだね。

2012年3月16日金曜日

NEU BIKE Cotic BFe


From UK to Japan
いや、楽しみだね。

ただいま中継地点のドイツのケルンから出発準備中。

しかし、UPSすごいね、こんなんできるんだ。。。

NeuBikeはCotic BFe。Bontragerの素晴らしいRespectとオマージュを感じさせられるデザインに、Bontrager好きとしてはたまりません。特にガセットのデザインは鼻血ぶー。

  
色はあえて黒っぽいいろに。2本頼んでいるのでもう一本は青。
欲しい人いるかな?いたら声かけてね。

ちなみに日本にも代理店はあるらしいが怠慢で、広告はほとんど何もしていない!
こんな素晴らしいバイクなのにもったいない・・・・

PS:なんでNeuかって、だってドイツだもん。

2012年3月12日月曜日

ハイカーについて思う

僕はバイカーであって、ハイカーでもある。
両者の気持ちはわかっている人と思います。

好きなコースはキャンプ場→丹沢三峰→煤ケ谷、三峰→大山のルートです。
当然、冬〜5月くらいまで限定です。
この”当然”が分かる人は丹沢のハイカーですね 。悲しい事実でもありますが。

で、思うのだが…最近、山は過密過ぎないか?という事。
誰もが指摘していて改めて指摘するのも何だけど。
#だからこそ、三峰なんだけどね(人がいるのが嫌だ)

「バイカー」であり、「ハイカー」である私に先日、非常に違和感がある出来事があったので、ご紹介。

北米ハンドメイド自転車ショウ de Ritchey

連投になっているが、今だけだから(笑)

北米ハンドメイド自転車ショウの記事を読んでいて、あららと思ったのが一つ。

TomRitcheyさんです。
リッチーさん、いまではオフィシャルサイトでスコットのバイクに自社パーツをセットアップして載せていますが(個人的にはこれが信じられん)、元はといえばフレームビルダー。ということで出品されています。

2011年 Ritchey P-29er
 これは去年で、リッチー自らが溶接(フィレットだ!)したP-29er。
いや、まぁ普通だわ。個人的にはこのフレームで剛性はいかほど?と思うのと、アウトされた商品が惹かれず、買うのを辞めた経緯があります。つかロゴは旧字体がやっぱいいね。このフォントだと某問屋さんのRIT●☓EYさんみたい。

が、今年はもう一つは一味ちがったようです。

じゃん!

Ritchey Breakaway Tandem - 650b Compatible


 おおお、Breakawayのタンデム!またキワモノを!w と流そうと思ったのですが、ふと、気になるキーワードが。。。これ、MTBの時は650b、ロードの時は700cなんですね。


 リッチーさんは650b vs 29erどっちに転がるのでしょうか…これは楽しみ(いや、タンデムは全然楽しみじゃないのよ、どうせ公道じゃ乗れないし)。インタビューはまだ聞いてないんだけどこのへんの話をしているのか、もう少し聞いてみたいと思います。

追伸(3/18):お断りですが、製品版はきっちり旧デザインのロゴです(サンエスのカタログ参照)。ヘッドチューブが鍛造で一体成型だが、このへんはBMXではもう5年くらい前からやってるもんなー。真新しさはないけど、リッチーがかー!みたいな。
あと、こんな動画も見つけたので、どうぞ。

Ritchey P29er review

2012年3月11日日曜日

マウンテンバイクよもやま話(その2)

なんかドリームファクトリーの話を!というリクエストがあったので、その辺書くかな。

マウンテンバイク絶頂期、そう、最近自転車を始められた方は信じられないかもしれないが、バイクラやサイスポの9割5分がマウンテンの記事だったのだ。インプレに始まりレースのレポート、林道ツーリングの紹介等々、今のロードメインの状況とは真逆な時代。

あの頃はロードは、今のマウンテンの状況だったんだよね。

はじまりのご挨拶とマウンテンバイクよもやま話(その1)

始まりは肝心。。。といいますが、ふと思いつきでBlog始めてみようか、という今日。
特に何か!という事はないので、軽く自己紹介とマウンテンバイクにまつわるエトセトラのお話をします。
 
papaHiro
197x年生まれ、アラフォー。3児のぱぱ
神奈川は茅ヶ崎在住、湘南はかれこれ10年になるかな。
辻堂→藤沢→茅ヶ崎と移り住んで、茅ヶ崎に完全に腰を落ち着かせてしまいました。
茅ヶ崎、Loveです。

趣味は自転車、サーフィン。そしてDJ(こちらはお金もらってたから、プロか)

自転車にいたっては、中学生の頃から。友達のアラヤのMuddyFox、まだSTIもなかった(サムシフターのSISだよ、って判る人、もう殆どいないよね?)頃に借りて乗って衝撃を受け、親のすねをカジリまくってなぜかRaleigh USA(TECHNIUMのフレームだね)を買ってくれたのがはまるキッカケ。

当時のRaleigh USAはJohn Tomac加入前(まだYETI/7-11にいた頃、多分、Mongooseの頃は僕はオンタイムでなかったような気がする)。その後Johnny TはRaleighに移籍したんだけど、それは余談かな?

その友達(またまた余談だけど、彼はいまや都内を代表する有名ショップのKOFU(注:間違えじゃないよ、現KOOWHO)のスタッフだった事もある、中学のクラスメイト)のお父様に山に連れて行ってもらったり、地元千葉のタキサイクル(ユーカリが丘にあったよね)に出入りして、お店のツアーや、お客さん同士の車に便乗したりして、どんどんズブズブとハマっていくこととなる。

タキサイクルを紹介してくださったのは、コミネさんという方だった。この出会いがなければ楽しみ方を知ることに時間が掛かっていたかもしれない。改めて感謝。
コミネさんは、僕が雨の中、マウンテンバイクに乗っている時に道で声をかけてくれた。確かFisherにのられていた記憶がある。当時はそれくらい、まだ珍しい存在だった。ママチャリ替わりに使うなんて有り得ない、そんな時代だっただけに、雨の中、マウンテンで疾走していたのが目についたんだろうね(笑)

そのころ、印旛郡の本埜村の役場の前の松虫の”空き地”は良く行ったねー。いまや住宅になってしまったけど。あの頃のフィールドはほとんど住宅になってしまったかなぁ。
”松虫”以外にも当時は千葉はダートのフィールドに溢れていた。「里山」なんて言葉がまだ使われていない頃、僕らは里山に入り込んでシングルトラックを開拓したりしていた。先日、ふと思い出して見に行ったが、ことごとく住宅になっていて、ショックだったなー。

そんなフィールド(当時はトレイルなんて言わなかった)でリアブレーキをロックさせて「オオタケー!」というのは当時のMTB少年の間の定番だった(注:今や秦野でMTBショップやっている大竹さんの得意技?がドリフトでコーナリングだった)。

そう、クランクは175mmなんだよ!ってのも、当時のシマノのオオタケさんのサイスポでの発言から来ていると思う。以降BMX以外は基本175mmクランクだ。

いまやダムの底だけど、宮ケ瀬MTBパークに行ったのも貴重な経験だった。

その時はテレビ取材が来ていて(いや、マウンテンバイクを取り巻く環境は当時そのレベルだった)なぜか「MTB相撲」なる競技?(遊び)に出て、 テレビに出たのはここだけの話。そのテレビが夕方6時からのニュースの1コーナーだったのは今考えるとすごい時代だったんだと思う。

やや余談だけど、確かこの年までマウンテンの全日本は宮ケ瀬MTBパーク(という名のダム工事現場)でXCは一発勝負だったと思う。まだJMA主催でJCFでなかった。ウィンクジミック(SPECIALIZD)やマイケル・トロイ・ジャクソン(cannondale)、いまやCove Japanの代表のポールチェットウィンド(当時、ロッキーマウンテン)が強くて、っておぼろげに記憶している。遠い過去のようで近いようで・・・

ただ言えること、それはそれくらい記憶に残る程、当時サイスポを読み更けていた事。
当時の情報はサイスポ(まだバイクラは追いついていなかった)とショップに入ってくる
、商売ネタとはいえ新鮮な情報のみだった。

僕が始めた頃はサスなんてなかった。ちょうどACCUTRAXフォークが流行ってA-TACステムが大人気。そう、ストレートフォークが出始めた頃だった(この流れがロードに行って、コルナゴあたりがストレートフォークのロードをだしていたよね)。

まだMANITOUはAnswerの傘下ではなく、きったねーMANITOUの完成車が信じられない価格(100万)だった頃の話だね。

いまでも憶えているのが、タンゲがスイッチブレードフォーク を発売したときの開発者のインタビューで「シンプルなのがベストであって、サスペンションフォークはいずれなくなる」みたいな発言をしていた。まさか自分の会社が撤退することになるとは当時思わなかっただろうに。しかし、当時のサスペンションフォークが置かれる環境はそういう時代だったのも事実だ(初代ROCK SHOXなんて笑っちゃう性能だもんね)。

いやーしかし、このころの写真が実は一枚もない・・・惜しい事をしたと思う。マウンテンバイクが牧歌的な頃の貴重な資料だっただけに、自分の歴史だっただけに、なんて惜しいことをしたのかと。

そんな楽しいマウンテンバイクライフ、衝撃的だったのが地元:千葉でも本格的なレースが開催された事だった。それが宮田工業が主催していた「リッジランナーカップ」だ。当時は全国で開催していて、それを千葉の千葉北インターのすぐそばでやったのだ。

もはや場所の記憶もGoogleMapで探せない程だけど、初めてでたレースがこれだった。

場所の記憶はないけど、当時、レースで血走った脳で、コースの様子は鮮明に覚えている。

あのころは、もうそれしか考えていなかった、そんな時代が僕の中学〜高校の頃だった。週末は狂わしい程ヒタスラのって、ヒタスラ買いもしないのにショップに入り浸り。

高校で他高とのボーリングコンパで、向こうからコクられても(やや自慢)、チ●コの先はあくまで自転車にしか接していなかった。。。そんな時代だった

勝手にリンクで申し訳ないですが、この方と実は結構被っている気がする。。。
http://ameblo.jp/rockstar-haro/entry-10899859783.html
当時のよもやま話はこれくらいにしておこう、止まらなくなりそうだから。

その2でまた書こうかなー